
咸臨丸日記 ジョン・ブルック・アメリカ海軍大尉
一八六〇年二月十日〔万延元年正月十九日〕
午後8時15分、萬次郎の推測によれば、城ヶ島の灯は北西約4マイル半の方角に当った。西微南半南から南西にコースを変える。船は約4ノットで進む。船底の惨水が臭い。海は穏やか。風は西から北西に変った。日没後雲が出たが、今は北西方に散ってしまったようだ。
午後8時40分、城ヶ島は海上6マイル北方に当った。
午後10時45分、パテント・ログを投入した。船位を推算した結果、コースを南西から「 」に変えた。城ケ島は北々東13マイルの方角に当った。午前1時5分、パテント・ログ16・1/4%マイル。洲崎が見えてきた、大島も見えてきた。船は南東微東の風で進む。
10日の記録 午後3時浦賀出帆。出港の際和船の間を縫って走る。右舷ウイスカーが落ちて流れてしまった。湾の中で西南西の強い風にのる。和船は小帆で湾にはいってくる。艦長は下痢を起し、提督は船に酔っている。洲崎と大島の間の航路筋に入ったので、私は北からの強い風を期待している。
二月十一日 〔正月二十日〕
明け方目を覚ました。船は激しく縦揺れしている。デッキに出てみると、二段縮帆した大檣トプスルが裂けていた。その帆をたたむ。フオアスルの半分も破れている。それもたたむ。スパンカーを紋つたが、裂けて流れてしまった。非常に荒い海で、しばしば波がうちこむ。日本人は全員船酔だ。今、船は大檣トライスルで走っている。蒸気もたいている。陸地はどんどん遠ざかる。黒潮に入ったらしい。船は北東微東に向っている。風が西に変りそうだ、変るとよいのだが。
12時15分、パテント・ログは昨日の午後8時15分以来66マイル走行を示している。萬次郎の観測によれば、緯度は34度51分。風も海も穏やかになってきた。帆を再びあげよう。12時15分パテント・ログをセットする。
午後4時、パテント・ログ6・1/2マイル。風が非常に弱いのでトライスルとヘッドスルを捲き上げ北東に転舵する。水温からみて黒潮に入ったと思われたから。12時から4時の間に、水温は55度から62度に上った。流れに乗ったのならよいのだが。そうなれば北ないし東に向け速度も加わるだろう。提督はまだ自室にいる。艦長も同様。天候はかなりよいのだが、風は真向いだ。午後7時、パテント・ログ28マイル。風が西向きになる事を切に望んでいるが、まあ、このくらいで満足していよう。日本人たちは船酔から恢復しつつある。私は夕方お茶の時間に、お茶――というよりご飯といかを食べた。 ’
私は随分疲れたので寝ようと思う。積雲が出た。日没のころかそのちょっと前に、北西の方向に非常に遠く陸が見えた。
二月十二日 〔正月二十一日〕
今朝は雨模様、水銀晴雨計は水銀の動揺のため役にたたない。小さいアネロイド晴雨計はかなり調子がよい。午前9時、風は東から南東に変った。新しいコースを北東にとる。9時半、気圧はアネロイドで760。トライスル、ジブ、スパンカーをあげて進む。東から風が吹いているので、萬次郎は天候を気づかっている。昨日の気圧(アネロイド)650。正午、ログ100。新たにセットする。
午後2時45分、気圧750.34、天候定まらず。風が北に変った。小雨。雲多し。帆をたたむ。3日分の石炭しか持っていないので、午後3時に蒸気をとめよう。しかし、じき西風が吹くだろうと思う。もし米国の石炭を積んでいたら、順風の吹き始めるまで6日から7日は蒸気で走れるのに。午後7時40分、雨を含んだ強風が北々西から吹く。気圧750.20。フォアスルをたたみ、船はトライスルと前橋の中節ステースルで進む。
二月十三日 〔正月二十二日〕
夜のうち非常に強く風が吹いた。北々西の疾強風をうけて、船はトライスルと前檣の中檣ステースルをはって進む。フォアスルをはり、大檣のトップスルを二段縮帆にする。波高く船は7ノットで進む。日本人達もだんだん船酔から恢復してきた。私はひどい風邪を引き、横にならざるを得なかった。頭痛がする。提督も艦長もまだ病気である。陰うつな天候で、雲が濃く寒い。
二月十四日 〔正月二十三日〕
船は夜のうちよく進んだ。午前8時30分、約210マイル走っていた。船は南東微東に変針を余儀なくされた。右舷中部甲板のボートをとりいれる。〔註〕日本人がキャビンの天窓を踏み破ってこなごなにしてしまったので、我々は円窓のあかりだけになってしまった。富蔵がけさ姿を見せた。にこにこしていたけれど、まだ全快してないようだ。萬次郎はほとんど一晩中起きていた。彼はこの生活を楽しんでいる。昔を想い出しているのだ。昨晩、私は萬次郎が年取った方のスミスに物語りをしているのを聞いて面白かった。次に歌をうたってきかせていた。
註。木村根津守の奉使米利堅紀行には、「波高く動揺甚し、端船を釣たる綱切たり、因て是を舶中に取入れたり」とある。ブルックの海の荒いことなど問題にしていない書きぷりは日本人の日記と対照的である。
昨日はアホウ鳥をみ、今日は黒いカモメを見た。曇り、水平線はくすみ視界は低い。
萬次郎の物語は、函館の領事と、三人の若い娘の話であった。
午前10時、針路、東北東。日本人が無能なので、帆を充分にあげる事ができない。士官達は全く無知である。多分悪天侯の経験が全然ないのだろう。命令はすべてオランダ語で下される。私は日本人が彼等自身の航海用語を持つべき必要を強く感じる。舵手は風を見て舵をとることが出来ない。操桁索や、はらみ索に全く気をくばらない。非常に不愉快なお天気だ。天測のチャンスなし。
午後4時。この3時間は南よりに向っていた。ほぼ東南東だったが、今は東北東に向っている。非常に強い風。気圧は低い。雨。甲板が非常に滑りやすいので、私は転んでしまった。この船は砂を積んでいない。航海のはじめから不愉快な事だ。
日没。北風が強い。船は安全な限りの帆をあげている。フォアスルを縮帆したいのだが。あのままではもし突風がくれば、帆をゆるめねばなるまい。パテント・ログがロープにからんでしまった。装置しなおす。4時半には約16マイル進んでいた。日本人達はなかなかよい油をひいた外套と手袋を持っている。彼等はだんだん船乗りらしくなってきている。
天候はひどい荒模様。大檣トプスルを取りいれようとすると帆綱が切れた。日本人は帆をたたむ事ができない。我々の部下を登橋させ、帆をたたませた。稲光はするが雷鳴は聞えない。船を東微南に向ける。トプスルをたたむ間南東に走る。
二月十五日 〔正月二十四日〕
夜のうち、風は西に変った。ほぼ北西。日本人達が前帆桁を風にあわせて動かさなかったので、思った程進まなかった。雨とみぞれを伴った強いスコール。波が荒い。9時に二段縮帆の大檣トプスルをあげる。天測をなす、カーン氏はキャビンを転げている重たい箱を片付けてもらいたいといった。それは日本人の食物が入っているのだろうと、我々は考えていた。ところが、驚いた事には、その箱にはキャビンを吹き飛ばすに充分な――四万個もの雷管が一杯つまっていた。私は萬次郎の助けをかりて片付けた。現在非常に調子よく走っている。太陽が見えてきた。日本人は火に関して全く不注意だ。昨夜は料理室から火を出した。正午の天測によればキング岬から480マイルである。萬次郎がいうには昨夜彼が水夫達に登橋を命じたとき、彼らは萬次郎を帆桁に吊るすとおどしたそうだ。彼らがもしそのおどしを実行に移すような事をしたらすぐ私にしらせろ、命令に反抗する奴等は、艦長が私に権限を与えてくれ次第、すぐ吊してやると彼に言っておいた。
夜。今日は一日中スコール模様で、時々雨が降った。夕方トライスルをはる。日本人は本当に当直に立つとはいい難い。三、四人の例外を除いては、彼らは皆船室に入りこみ、デッキに出て来るのに15分から20分もかかる。今日非常に美しい虹がみえた。艦長もしばらく出てきた。提督は私にこんな事情の下で船の指揮をする労をねぎらってくれた。
二月十六日 〔正月二十五日〕
夜中の北々西の強風が朝には西北西に変った。船は波にもまれている。まず大檣トライスルをたたみ、前檣トライスルもたたむ。前檣の中檣ステースルをつけ、帆桁を風の方向に合わせる。今物凄い波があるが、舵はよくきく。正午、パテント・ログ、昨日以来144マイル。この波では東半南以上に舵をとることができない。船は風上後半部に波をかぶり、キャビンが洪水になった。我々の乗組員が操舵や見張りなど当直士官のなすべきことを皆やっている。今朝日本人が前檣のトプスルをたたんだ。あられや雪を伴った強いスコールが時々くる。非常に嵐めいた。空模様である。午後1時、気圧は766。船は約9ノットで進んでいる。風は今のままで、波がもっと低いとよいのだが。
萬次郎は緯度を測った。北緯36度18分。同じく萬次郎の経度、東経152度29分。
真進路144四度東微南。変離141度東。変違285度。
36度17分ヴイナス28度、35度49分(推測)
149度50分マイナス2度55分、152度45分(経度推測)
註。この経緯変等はブルフクの覚え番きであって、今日その意味を解読することは困難である。
午後6時、気圧は770。同8時、771。星は時々見えるが、流れの早い雲に大方はかくされてしまう。風は西北西だが絶えず強くなったり弱くなったり。又突然猛烈に吹きつけてくる。海は非常に荒い。頻繁にしかも突然に襲うスコールの間に、船はとかく風上にそれるので、私は船を北に向けることが心配で出来ない。あられが打ちつける。モリソンは今日すこし酒に酔っていた。日本人達は全く我々に頼りきっているようだ。このような重大な事態でなかったならば、彼等が船を全く我々の2、3人の当直に委せきっているのを見るのは面白いに違いないのだが。
私の部下
チャールス・ロジャー 事務員
ルシアソ・P・ケンダル 看護人
チャールス・フォルク 計器職人
チャールス・スミス 舵 手
ジョージ・スミス
プランタ・コール
アクセル・スメドボルダ 。。
アレクサソダー・モリソン
ジェームス・バーク コック
L・ケンダル
モリソン 当直
スメドボルダ 当直
ロジャー 当直
ショー・スミス 当直
フラソク・コール 当直
当直に水夫は二人ずつしか立たない。船の中で、秩序とか規律とかいうものは全く見られない。事実、わが国の軍艦にみるような規律とか秩序とかは、日本人の習慣に相容れないものだ。日本人水夫は船室で火鉢と、熱いお茶と、煙管とをそばにおかなければ満足しないのだ。飲酒はそう厳しく取締られていない。これに加うるに、命令がすべてオランダ語で下され、しかも極く僅かの水夫達しかその言葉を解しない。これによっても任務の遂行がどんな有様か想像がつくだろう。艦長はまだ寝台ねたきり、提督も同様。士官達はドアを開け放しにし、それがバタンバタンとあおり、自分達のコップや皿や、やかんが床の上を転げ廻るにまかせ、全くだらしのないこと言語道断。しかし我々はこれがかれらの最初の遠洋航海であり、天候も悪く、又かれらの教官はオランダ人だったという事を忘れてはならない。日本の海軍にはどのような改革が必要であるかについて、意見を持っているのは乗組員中萬次郎ただ一人である。船内に取付けてあったオランダ製の調理場は取り除かれて、米をたく二個の大釜がすえられた。我々は天候の許す限り、火鉢で炊事をしている。今日私は御飯と塩づけの魚を日本人と一緒に食べた。日本のお茶はすばらしい。ビナクル〔羅針箱〕の明りには大変苦心している。油と芯が悪いのだ。ろうそくは不細工なもので芯の直径が1/4インチほどもある。現在我々は二段縮帆の大檣トプスルとフォアスル全部をあげて、6ノットから9ノットの速さではしっている。
晴雨計では苦労している。アディーは船汐揺れるごとに1インチ程も上下する。その上1人の日本人がアネロイドのガラスに手をついて、つき破ってしまった。私は今自室にその残骸を持っている。他の1人は天窓を踏み破ってしまった。今日は大波をかぶって、クロノメーターがもう少しで水につかるところであった。えらい航海だ。しかし珍奇な事も悪くない。私は日本の海軍を改革ずる事に努力しよう。そして萬次郎を援けるのだ。
二月十七日 「正月二十六日」
真夜中ごろに風が衰え、我々は午後5時まで進めなかった。精密な天測をする。萬次郎、友五郎と一緒に高度を測った。私は萬次郎の六分儀を調節してやった。海はしだいに凪いできた。提督はわずかの間デッキに出て来た。長い間船室に閉じ込っていたので、樵悴の色がみえる。
正午の緯度は北緯36度08分、経度は東経156度2分8秒。南から軽風が吹いている。星が出てきた。積雲。水温は正午に57.2度。気圧は午後7時には依然高く771。日没に際しトプスルを二つ縮帆した。日本人は自分達で縮帆できない。我々が耳索その他をたぐってやる。
ケンダルはまだ床についたきりの艦長に薬を調剤した。現在海は全く静かである。船は北東微東に向っている。私はあまり北に行きたくないが、海の具合で南航を余儀なくされることも予想し、なるべく大圏航路にのって行かねばならない。萬次郎は風邪で具合が悪い。今日豚を一頭屠った。日本人水夫達は非常に面白がった。ちょっとした事が彼等を大いに喜ばせる。
二月十八日 〔正月二十七日〕。 、
萬次郎の天測 北緯37度04分。東経157度22分
昨夜、すっかり暗くなる前に風が南東微東から非常に強く吹いたので、私は前檣トプスルをたたみ、夜中にスパンカーと大檣トライスルをたたんだ。午前10時ごろ北東に船をむけて波をよけながら、左舷中部甲板のボートを固くしばりつけた。我々はこのボートを何回となく流しかけた。今ボートは捕鯨船でやるよう、半分ひっくり返えしになっている。これはフランシスの救命ボートの一般である。太陽が雲から出た。風は南々東又は南東微南から非常に強く吹いている。友五郎は今、緯度測定のために太陽の高度を測っている。正午には北緯37度に入るだろう。この南東寄りの風が吹いても、我々は室だ北寄りに進む余裕があるのは嬉しい。私はあまり南に寄りすぎたと思っていたところだ。左舷の船尾に漏穴があり、右舷開きで走ると私の個室の床を常にぬらす。サン・フランシスコで徹底的な検査をすれば、腐った木材が何本か発見されるだろう。しかし米国海軍の造船技師はフェニモア・クーパー号を検査し、まるで樫の実のように堅牢であると断言した時よりも、もっと彼の職務を良心的にしなければならないだろう。午前9時、気圧は764、午後1時には762。午後2時、風強く太陽は出ているが、巻雲が空に散っている。水平線には雲の層と堆積。ジョー・スミスの具合が悪く、役にたつ舵手は3人に減ってしまった。非常に荒い海で強い風が南々東から吹き続いている。この天候では料理をする事は全くむずかしい。夜がふけるにつれて風は強まり、はげしいスコールがくる。船には今帆が出すぎているが、たたもうとすれば必ず吹き飛ばされるにきまっている。
二月十九日 〔正月二十八日〕
真夜中まで南々東の風が非常に激しく吹いた。何度も帆が帆桁からちぎれるのではないかと思った。午後12時、雨が滝のように降ってきた。空気が白く見える。風は西に変り、やがて又強く吹き出したが、これが最後の変化だろうと思われるので私はホッとした。3時に就寝。正午から真夜中までに96マイル進んだ。横になるやいなや又呼ばれる。強いスコールがくる。この日の夕方、私は日本人達の無神経さに全く驚かされた。暴風のきざしがはっきり現われているのに、ハッチもしっかり閉めていないし、その上羅針箱の明りも非常に薄暗いままであった。当直士官は船室に帰り、2、3人の水夫達が甲板にうずくまっていた。私は萬次郎を呼びにやり、やっとのことで当直士官のみならず、すべての士官達を船尾に呼び集める事に成功した。彼等もやっと重大事態がわかりかけてきたのだ。船はスコールにのって暗闇の中を疾走し、船の節々をふるわすのであった。トプスルとフォアスルが今にも吹飛ぶのではないかと思った。真夜中。暴風の中で船室にもぐっている日本人は、砂の中に頭だけをつっこんで、全身をかくしている積りの駝鳥とよく似ている。真夜中に乗組員中の最も有能な日本人士官「 」が上ってきて、形ばかりの当直をはじめた。しかし、これは幸であった。というのは風が突然北西に変ったので、転桁が必要になったからだ。もし横帆桁をそのままにしておいたならば、船は横波をくう事になったであろう。
正午。バテント・ログ 169・1/2
緯度 北緯39度22分
経度 東経160度04分
萬次郎の天測による。
今日我々は食物の用意に大騒ぎした、船室内でキャンプの時のように火鉢で料理しなくてはならなかった。昨夜日本人が我々の豚肉を盗んだ。馬鹿野郎。しかし我々は今うまいあひるのシチューを作っている。この三日間虹がよくでる。
推測による緯度 北緯39度11分
同じく経度 東経159度39分、
天測による緯度 北緯39度22分
クロノメーターによる経度・東経160度03分
夕方。一日中ひどい波だった。風は大体西微北。灰色をしたカモメが沢山飛んでいる。船は東北東に針路をとる。身のひきしまる天候だ。新しい前檣帆脚索を結びつける。今、萬次郎が私に士官達の当直の組分けが出来たと報告した。そうすると、今までの当直士官は特に決められていたのではなかったらしい。萬次郎がいうには、彼が小笠原諸島に捕鯨のためスクーナー船を指揮して行った時、規律につき特別な権限を将軍から与えられたという事だが、海図が間違っていたので、クロノメーターに頼って行ったところ、小笠原諸島らしい島の西に出てしまった。このため彼は上陸せずに帰った。
註。ブルックの原文では将軍をエムペラーとよんでいる。
二月二十日 〔正月二十九日〕
西北西の軟風が絶え間なく吹く。気圧は高い(上昇中)。雲が多い(積雲)。かなりの波。トプスルの縮帆をとく。日没に二つ縮帆する。今日私は水夫や士官の当直を割当て、部署を決めるよう提案した。しかし予期しなかった困難にぶつかった。尉官級の6人の士官のうち、何人かは職務に全く無智である。提督は能力のある者を当直につけたがらない。つまり彼らが無能な者ほどに身分が高くないからというのである。結局、提督は誰にも部署、当直を割当てず、もとのままにしておくことを望んでいるのだ。提督自身も船舶運用に関して何一つ知っていない。彼は私が船を動かす事ができるのだから安心だと思っている。それで、差当り万事変りなしということになった。とはいえ、私は下船するまでに。何とかこの点を議論して改めさせよう。
萬次郎はひどく、うんざりしていが、彼は仕方なしに提督に従っている。しかし彼は当直の必要を士官達に納得させた。私は彼に、もし私が部下を当直からはずし、船の仕事を拒否したら提督はどうするだろう、と聞いてみた。「船を沈めてしまうでしょうよ」と彼は答えた。そして萬次郎は自分自身としては、そんなことで死ぬのは惜しいといった。もめ事が、はじめて士官達の間で起り、艦長や提督のさばきにもち込まれた。
夕刻、私は縮帆している船の絵を描いて、水夫達に番号さえつければ、縮帆等をさせるための配置がわけなく出来ることを士官達に示した。彼らは喜んだようだった。萬次郎は誰憚る処なく自由に話すが、又同時に何か不安そうだ。彼はとても危険な地位にあり、非常に注意してあつれきを避けねばならないのだ。
二月二十一日 〔足月三十日〕〕
註。日本船員の日記にある成臨丸の位置及び船を望見した記事等よりして、これは二月二十一日にちがいない。ブルックが日附をつけ落したのであろう。
緯度 39度45分43秒
経度 166度40分30秒
12時30分、左舷斜め後方に横帆装の船が見えた。咸臨丸は東北東に向っているが、その船は北々西に向っているようだ。夕方、四時ごろ南東微東の軟風が吹くまで、軽い変り易い風が吹いていた。例の船は我々と同じ針路をとっている。多分サン・フランシスコに向う商船であろう。薄暮トプスルを二段縮帆し、舵柄を邪魔していた木切れやごみを掃除した。今夕、私は当直やトプスルの縮帆の時の水夫の配置を萬次郎に教えた。非常に強い風でも出ないかぎり、朝にはあの船は見えなくなっているであろう。日本人の船員を実際に配置する事に私は希望が持てそうになってきた。気圧が少し下った。好天気。風は強まりそうだ。
二月二十二日 〔二月一日〕
真夜中に船の様子がおかしいのでデッキに行ってみると、萬次郎が指揮していた。私は彼にジブを下し、後檣と前檣のトプスルを巻き上げてたたむようにいった。南東の大強風がいまにも吹き始めそうだ。寝室へ戻った。午前4時、大檣トプスルをいっぱいに縮帆し、フォア・スルをたたむ。船は縮帆した大檣トブスルと、前檣の荒天用ステースルと前檣トライスルで走る。荒天用ステースルが吹き飛ばされたので、大檣トライスルをたたむ。船は前檣トライスルときつく縮帆した大檣トプスルで走る。風にさからって舵をとるのはむずかしい。船首に帆を沢山張り過ぎているからだ。しかし帆を吹き飛ばされると船は風上に船首を向けて止ってしまうだろう。
夜明けに例の船がきつく縮帆したトプスルと縮帆した大横帆で走っているのが前方に見えた。今、即ち正午には、例の船は大横帆をたたむか、進路をそらしたらしい。私は風が西か南に変るのを待ち、それから、うんと走ろうと思う。今は雨が降っている。気圧は非常に低く、午後1時、740.8。日本人達は確かにものを覚えてきた。気圧は南東や北西の強風の時非常に変化する。昨日正午の気圧、775(オランダ読みで)。午後4時、742。風は南東微南から南西微南に変った。気圧は変らない。この船はきつく縮帆した大檣トプスルと前檣荒天用ステースルの場合、船首を風上に向ければ見事に停船させることが出来る。4時30分、船の方向を変えるために私はデッキに出た。萬次郎は私と一緒に来たが他の日本人達はあまりにのろく、又関心がなさ過るので――デッキに出てきたのは1人か2人だった ――私は腹が立って船室に戻り、モリソンに日本人達が完全に部署につくまでは船の方向を変えさせてはならぬと命じた。面倒な事が起るかもしれない。間もなく萬次郎が降りてきて、皆をデッキに集めたと報告したので、私もデッキに上って行き、船を北東微東に向けた。
3/4ポイントの変差がある。ログは午後5時、我々が方向を変えた時に19マイル半を示した。フォアスルを張る。気圧は今徐々に上昇している。 。
風は今に恐らく西から北に変るだろう。安定した南東の疾風が西や北に変る。風の回転とでもいうか。私は時々癇癪をおこす。日本人達は全くのろまだ。彼らは荒天に対して全く無経験で、しかも部署を割当てられていない。従って私は非常に注意深くしていなくてはならず、又できるだけ帆を少くして走らねばならない。腕のよい乗組員さえいれば、今でも一段縮帆のトプスルとトガンスルで船を進める事ができるのだが。まあまあ、確実にゆっくり、というのがよい考えだと思っていよう。午後8時、西風。10時半、気圧は743.5。西から強いスコールが来る。星が時々現われる。帆はこれで充分。正午、ログ111マイル。正午にはセットせず。
二月二十三日 〔二月二日〕
一晩中西から強い風が吹いた。今朝前僑トプスルを二段縮帆にする。
9時半 気圧 750.9
12時 気圧 750.9
ログ 141・1/2
昨日の午後5時から131マイル進んだ。雪が降っている。この24四時問は大体東微北の方向に進んでいる。12時45分、気圧が下りはじめた。風がこれ以上北にならなければよいが。気圧が上昇しなければ、このまま西風が続くであろう。
二月二十四日 〔二月三日〕
一晩中疾風が西又は西微北から吹いた。今朝は大檣トプスルを解帆した。気圧は極めて一定している。10時半、750.9。クロノメーターの寒暖計は53度で、大体平均気温である。気圧は少し下りかけている。空は雲におおわれ、水平線はかすんでいる。乗組員の当直も部署も、まだきまっていない。今日、大檣の中檣帆桁を調整し、メーンスルをとりつけた。我々は帆の出し入れに手間取って、ずいぶん時間を無駄にしている。現在トガンスルを張り、メーンスルの風下側の帆耳を引いて半帆とし、スタンスルを張るべきなのだが、この船ではそれがむずかしい。帆綱が滑車に比して大き過ぎ、しかも固い。縮帆部の滑車装置は滑りが悪い。正午のログ、159。東微北に進む。
午前1時半、西から絶え間のない風。午後昼寝をした。トガンスルをあげ、それで走ることを考える。
午前1時半、気圧750.65。雲が多い。この黒雲はこの辺によく出るらしい。船は大檣トガンスルで着実に走り続けている。前檣トプスルを一つ縮帆す。明日にはメーンスルを張れるだろうと思う。今デッキに行ってみたら、年取った方のスミスがかなしい調子で歌を唱い、水夫長や舵手に聞かせていた。彼は歌をやめ、自分はあらゆる手段で皆を元気づけているのだといった。恐らく私が立ち聞きしていたと思ったのだろう。又彼がいうには、今夕日本の士官達は大檣トガンスルをたたみトプスルを縮めるよう、彼に執拗にいいよったそうだ。それをスミスは私に伝えたのであった。私は帆を掲げておくようにいった。気圧は南と北の間の風の時は非常に安定しており、風も西から一定して吹いてくるので、私は突発的なスコール等を全然気に掛けていなかったからである。とはいえ、もうすぐ明け方である。現在8ノットぐらい出しているだろう。真夜中のログ、82マイル。船は東倣北に向っている。今夜あたり180度を越すと思う。正午前経度観測を行なったが緯度が不明なのであまり自信がない。今日で出帆してちょうど14日目である。この航海の後半には前半よりよく走れることを望む。
ハッチにはまだ当て木をしたままになっている。日本人達は、この同船が波をかぶってから、大分経験を身につけてきた。興右衛門が甲板にいる。緯度を42度と仮定した時の経度観測は正午に東経179度8分だった。
二月二十五日 〔二月四日〕
午前10時30分、気圧750.85。昨夜はずっと丁度よい西風が吹いた。今朝は太陽が出ている。天測がよく出来た。メーンスルをとり付けるのに苦心している。太平洋の西側では天侯もよいだろうと思う。午前10時、針路東倣北、ログ152マイル。
進路は真東北40度39分23秒
夕刻。今日午前10時半と正午に天測す。この二、三日の萬次郎の推測に少し間違いがあるようだ。少し遡ってやり直さねばならない。実際は、日本人舵手がうまく舵をとれないという事だ。遂に我々はメーンスルをとりつけ、風下帆耳を結び付けた。気圧が上昇している。午後7時には760.05だった。風は衰えつつある。止んでしまう事はあるまい。勝艦長は幾分気分がよさそうだったが、まだ寝たままである。彼にスープとブドー酒を少々与えた。提督は部屋に籠っている。
二月二十五日 〔二月五日〕
註。この時、日付変更線を過ぎたので二月二十五日が繰り返されている。日本人の日記はすべてこれを無視しているので、その後の日付は一日ずつちがっている。本書でも、日本人日記との対照の便宜のため、旧暦は二月四日を繰返さずにつけた。
午前10時、気圧760.7。
午後5時半、気圧760.8。昨夜は軽い西風が絶え間なく吹いていた。東微北半北に舵をとる。
正午、ログ134マイル。朝と夕方に天測する。
午前 緯度観測
午後 経度観測
艦長は快方に向っている。今日、スープとブドー酒を贈った。私が彼のキャビンの扉を開けた時、彼は寝床の上に坐っていて、非常に感謝しているようであった。大変静かな人で、私は彼の声を聞いた事がない。士官達は彼を非常に畏敬しているが、滅多に彼に近寄らない。今日は非常によい天気だ。
西北西から大きなうねりが来るだけである。太陽が出た。提督はこの好天気を利用して荷物の整理をさせた。彼は今日、私の贈ったシナスリッパをはいてデッキに現われた。我々は今日スタンスルの索具の装置に成功した。私は準備を始めた甲板士官の処へ行き、次に艦長代心の処にも行き、私の部下のモリソンに手伝をさせて彼らを急がせた。モリソンは顔を合せた士官はのこらず、又甲板に出てきたすべての士官にも手伝う事を強く要求した。彼らは、このうるさい要求から早く逃れるには、仕事をやってしまった方がよいと思ったらしかった。そして我々の執拗な方針により、12時間得をした事を満足に思った。
今日事務長が甲板に出て食料などの検査をしていた。今夜、空は晴れているが西の方に、北から南へかけて雲の堤ができており、その端には巻雲がかかっている。雲の堤は段々層積雲になってゆく。気圧は午後7時、760.8。萬次郎はこの4、5日というもの具合がよくない。今朝彼は緩下剤をのんだ。
琉球とシナの間を通うシナのジヤンクは島津氏が秘密に行なっている取引きとしての貢物を運ばない。萬次郎はしばしば将軍から意見を求められ、又彼はアメリカ人をよく助けた。けれども、ある考えから江戸のアメリカ公使には決して近づかなかった。彼はしっと深い日本人に中傷されるのを恐れて、自分のする事を人に知らさないようにしている。
友五郎は優秀な航海士である。私は彼にスマ―の方式を教えている。
午後10時15分 気圧760.9
午後10時30分。空はすっかり雲におおわれ、風は次第に南微東に変ってきた。低くおおいかぶさったような空は、東の方が西の方より幾分明るい。気圧は高い。今夜は天侯が落着くまで、油断なく見張りを続けよう。船は大福トガンスル、ジブ、メーンスル等を出して走っている。正午以来、平均4ノット半の速力である。
二月二十六日[二月六日]
午前9時、気圧770.10
午後10時半、気圧770.20
昨夜はずっと軽い西風が吹いた。夜が明けると右舷側斜め後方、西微雨半南の方向に船が見えた。その船はローヤルスルをあげて走っており、正午には下檣スタンルの先端が見えた。我々は前檣の中檣スタンルと上檣スタンスルをあげる。下檣スタンルもはる。それからは、かの船は追いついてこなくなった。その船に最も近づいた時、檣の度は5分00であった。
註。ある型の船の檣は高さがきまっているものであるから、その角度を測って両船間の距離を知ることが出来る。
私は最初、ポーハタン号かと思ったが、ローヤルスルをはっきり見て。そうでない事がわかった。日没に上檣スタンスルと下檣スタンスルたたんだ。萬次郎は病気だ。今日私は緯度を充分に天測することができた。午前中はうまくいったが、午後はあまりよくなかった。正午近く緯度を測った。海は、西から小さいうねりがあるが、穏やかである。至軽風。提督が起きている。艦長麟太郎にスープとプドウ酒をおくる。又朝食として生卵子とブドウ酒をおくった。日本人達があまり下手な舵のとり方をするので、航跡を信頼して潮流を割り出すことが出来ない。咸臨丸の砲座は重すぎる。今のように海が比較的穏やかな時は、その影響を感じとる事ができる。船はいやな横揺れをする。即ち一度傾くと、なかなか回復せず懸命に立ち直ろうとし、不安定な無理のある横揺れをする。明日になれば例の船と話をする事ができそうだ。私が思うに、あれは20日に見たのと同じ船だ。暴風の後で、あの船長は帆を大きく張る事を恐れていたらしい。午後12時30分、風は南ないし東に変った。大檣の中檣スタンスルをしめる。空は全く曇っているが、気圧は高く、安定している。770.20。午後10時以後変らない。水平線は遠くあの船は見えない。
一八六〇年二月二十七日 〔二月七日〕
夜のうち南と東から軽風が吹いていた。風上側船尾方向から例の船はだんだん近づいてくる。東南東からの変り易い風は弱まった。大横帆を上げねばならない。例の船は風下側船首の方向にある。邪魔にならぬよう距離を保つ。向うから信号してきたが、こちらの信号辞典はオランダ語で私には読めないから、返答する事ができなかった。その船の船尾につく。その船は我々に追いつかれたくないらしい。ついに私は大声で挨拶を送り、前檣頭にアメリカ国旗を掲げた。向うから「ハロー」と答えてきた。私は「風上に出て速度をおとせ」といった。向うでは何か用かと尋ねるので、話がしたいと答えた。その船は風上に出て、我々は風下に行った。香港からサン・フランシスコへシナ人を乗せたニューヨークのフローラ号だ。フローラ号の船長はデッキに群がっている乗客の騒音で、私の言っている事がよく聞えないと歎いていた。フローラ号は速力をおとすために大檣トプスルを操って風をそらした。我々は速力をおとさず、フローラ号が船尾の方へ来た時、方向を変え、二艘の船はみごとに並行して走った。私はフローラ号の船長に、日本の使節を乗せて10日に出帆したはずのポーハタン号の話をした。又私の名前や、フェニモア・クーパー号の9人の乗組員がこの船に乗船している事を話した。船長はもしも咸臨丸が先に着いたら、自分のことを報告しておいて欲しいといった。私も彼に同じ事を頼んだ。彼はよい航海を祈るといった。私が、この船にはとてもえらい乗組員がいるのだというと、彼は見たところ本当にそうらしいといった。咸臨丸は日本の船として、その上蒸気船としては仲々よく走るというので、私は日本の船に負けるなといってやった。彼は風の調子さえよければ負けはしないと答えた。我々は急速にフローラ号をひき離した。南と東に変った風は、夕刻にはフローラ号を我々の風上の船尾方向に持って行った。最後にフローラ号は我々を追い越して先に立ち、現在では風下の船首方向にいる。フローラ号の明りがときどき見える。日没にトガンスルをたたんだ。あの船は香港から42日目だそうだ。22日の嵐の最中に我々を見たといっていた。今日、麟太郎艦長が出てきたが、まだ弱々しくデッキには立てない。大砲の砲口栓を全部失くしてしまった。今は午後10時15分である。東南東の疾風。船は一ぱい開きで、船首を北東又は北東微東に向けて走っている。風は荒模様で時々さっと強く吹きつける。だんだん積雲が雨雲に変ってゆく。
スパンカーを索で絞り、ジブをひき降す。約5ノット半の速力で進む。気圧は770.25で変らない。星が出ている。南の水平線が時折はっきり見えてくる。新月がかすかながら行く手を照らしてくれる。日本人達は米を炊いて、夜も昼も食べている。我々は今日新しい豚肉を食べた。萬次郎は豚肉を炭火で焼いたのが大好きだ。
風が東から北に変った。サン・フランシスコから800ないし600マイルの所へ来た時に、サン・フランシスコと同じ緯度圏に徊達しているのは賢明であると思う。今日は不思議な程穏やかな波だった。私は今日シャープスのライフルで練習し、200ヤード離れたビンを8発目に割った。年上の方のスミスが一番当直になっていた。彼はあらゆる種類の物語をして私を楽しませてくれた。例えば囚人船に乗組んでいた時の話等である。この年とった水夫は、自分の家のあるサン・フランシスコに帰るという考えに有頂天になっていた。結局家ほどよいものはない、というのだ。私も彼に賛成だ。真夜中。今空は非常に晴れている。星もこの上なく輝いでいる。フローラ号も無事航海している事だろう。しかし私は危険は犯さない。安全に、ゆっくり行く。とはいうものの、私もじれったくてたまらない。北東微北半北に針路をとる。
〔註〕ここにブルックの書き落しがあるらしく、話のすじが通らない。
二月二十八日 〔二月八日〕
ちょうどよい疾風だが、あいにく東微北から吹いてくる。前檣と大檣のトプスルを二段縮帆した。朝方メーンスルをたたむ。海はあまり荒れていない。9時半、メーンスルをあげる。天測をする。艦長麟太郎が起きてきた。彼は私と一緒にワシントンに行きたいという。それはよい計画だと答える。太陽が霧でかすんでいる。視界に何もなし。
夕方6時45分。今日は一日中大風が東微北から吹いた。朝のうち空は晴れていたが、今は曇ってしまった。気圧は770.25から660.75まで下った。船は二段縮帆トプスル、大檣トライスルおよびフォアスルで走っている。気圧が下るに従い風が南に変るとよいのだが。フローラ号は北の方へ行ってしまった。今日は見掛けなかった。
萬次郎と事務長が今日私に、提督の身分について説明した。アメリカでは彼の肩書きが何となるか考えつかないので、彼らは提督の任務の幾つかを私に話した。第一、彼は神奈川奉行と同格である。彼は日本の全海軍を指揮し、士官を選択し、将軍の承認をもって任命する。私は彼がアドミラル(海軍長官)であると結論を下した。ズショノカミ。夕刻、船は北東半東に向った。私は間もなく帆を大きく掲げるによい安定した順風が吹く事に望みをかけている。雨が降っている。気圧は午後11時半、760.6で落付いている。
二月二十九日 〔二月九日〕
一日中もやが濃く垂れこめた天気だった。風が段々変り、船の向きが北東微東となる。午後になると今度は風がやんでしまった。東南東から大うねりが寄せて来る。暗くなって北から軽風が吹いてきた。12時。4ノットで進む。霧深し。艦長と長官は一日中部屋に寵っていた。船の傍を何頭かの鯨が潮を吹きながら泳いで行った。日中軽い雨。
三月一日 〔二月十日〕
夜のうちに風がやみ、我々は現在辛うじて舵効進航している。濃い霧と大波はカリフォルニアの天候のようだ。大工に捧つき雑巾の作り方を教えた。彼はオランダ製のものを見せてくれたが、全く厄介で役に立だない代物だ。私は風には全く失望した。この緯度より南の方ではよい風が吹いているらしく思われる。水温は非常に低く49度である。長官と艦長は二人とも部屋に籠っている。一昨日私は全部のクロノメーターを比較してみた。2817番は十分早く、最も正確な7個の平均より10分も西の方に船を位置させる事になる。午後しばらくないだ後、東方から軽風が吹いたが、又南東微南に変った。霧が深い。
三月二日 〔二月十一日〕
濃霧と南東微南の疾風。吹く陰鬱な日であった。船は東微北半北に針路をとる。太陽が出てくれるとよいのだが。この湿っぽい霧深い天気は。はなはだしく不愉快である。私は風邪を引いた。昨日飲料水を検査した。10個のタンクは使い果し、13個のタンクにはまだ入っている。今吹いている東からの風は全く頑固だ。何時までたっても変らない。夜強風が吹いたが霧はまだ深い。月はどうやら見える程度の光をはなっている。トプスルを一段縮帆し、メーンスルをたたむ。風はまったく定まった。約5ノット半の速度で進む。退屈な航海になってきた。物珍らしさは無くなり、港はまだまだ遥かかなたである。我々は多分ヒアワサ号を求めてヴインセンス号が調査した地点の近くを通過するだろう。
三月三日 〔二月十二日〕
今朝風は南と西に変った。帆をひろげる。即ち解帆し、トガンスルの桁を装備して帆をはり、スパンカー、メーンスルおよび右舷前檣の中檣スタンスル等をあげた。これから日本人達には上檣帆桁を下させないようにしよう。あまり時間がかかりすぎる。
三月一日に私は士官達や艦長と話し合いがついた。これまで日本人達があまりに無能力であったため、私自身常時警戒をしている事が必要だったし、又私の部下を当直に立てねばならなかった。向い風になったので、私は士官達に上手廻しの技術を教えようと申し出た。ところが彼らは非常に物ぐさで、デッキに出て来ない。種々の言訳等をしている。そこで私は部下全員を集め、私の承諾なしには何もするなといい渡し、船室に入らせた。そして艦長に、もし士官達が協力しないなら、もうこの船の面倒をみない、と申し送った。艦長は士官達を説き論し、彼らを私の配下につけたので、私も当直をデッキに送った。
晩。前檣の中檣スタッスルを掲げるのに丁度よい強さの南東微東の風が吹いた。海が非常に穏やかであるのは霧のためであるかもしれない。私はいつも霧が海を和らげ、穏やかにするのを観察する。船は。約7ノットの速度で進んでいる、もっとも日本人の使うオランダログによると9ノットであるが、今に調子のよい風が吹きそうだ。1日160マイルで行けば12日以内で楽に着くだろう。フローラ号は我々の北方にいると思われる。そしてこの南東の風が続きさえすれば、フローラ号は大して我々を追い負かす事はできないだろう。艦長と提督はまだ自室に閉じ込っているが。提督の方は今夕デッキに2、3分出て来た。よい月夜だが霧が深い。
三月四日 〔二月十三日〕
気持のよい夜だった。風はだんだん西風に変った。午前8時、東半南に向っている船の左舷の方向から激浪が押寄せた。沢山のアホウ鳥が飛んでいる。日本人が1羽とらえた。和風。すべての帆をあげ6ノットで進む。この船をこのままで、なるべく「 」たいと思う。もっとよい風が吹きそうだ。午後観測。正午のクロノメーターによる経度は、西経160度26分。日本人達は生来の親切さから鳥を逃がしてやった。立派な特質である。我々は現在サン・フランシスコから約1650マイルの所にいる。
三月五日〔二月十四日〕
朝のうちは殆んどないでいた。空は晴れ渡り素晴しい太陽が輝いた。日本人達はこの機を利用して寝具類を干した。南と東から吹き始めた風が、日中次第に強まり西に変った。今は真夜中であるが、南西の風となった。月の周りにカサがかかっている。空は曇って海は非常に穏やかである。右舷の下檣スタンスルをはった。
萬次郎は日本の西海岸によい港がいくつかあるという。しかし幕府の領地ではないそうだ。萬次郎がいうには、大名はその港のうち一つを開きたいのだが、将軍はそれが自分の領地でないので許さないとの事だ。我々は浦賀に造らせようと思っているドックについて、長い事話し合った。浦賀は広くて7、8尋の深さがあり、岸の近くでも3尋はある。
三月六日 火曜日 〔二月十五日〕
一晩中よい風が吹いた。正午ログ、121マイル。東微北(コンパスによる)に針路をとる。・霧が深く、うっとうしい天気だ。船は約6ノット半の速度で走る。プロベラーが充分水から揚りきっていないので、羽根が船の速度をおとし、その傾斜が舵の働きを妨害している。私は艦長にサン・フランシスコでプロペラーを揚げられるよう工事させることを提案した。大檣の中檣と、上檣の索具を装置する。スタンスルをはる。下檣スカイスルは一晩中はっておいた。
経度 155度55分
絲度 42度09分
夕刻。風は相当強いが、一定して南西から吹いている。霧が晴れ、雨雲が満月のそぱを非常に早く飛んでゆく。下檣スタンスルは下桁を持ち上げている。その帆をたたんだ。空気が比較的乾燥しているので、海の荒れることが予想されるが、帆をたたまないで行こう。両方の篇の上檣および中檣のスタンスルは、神慮の許す限りつけたままでゆこう。何故なら私はできる限り早くサン・フランシスコに着きたいのだ。萬次郎がデッキにいる。羅針箱の灯が二つとも消えてしまったが、その明りが再びともされるまで、彼は月の光で実に器用に舵をとっていた。プロペラーの羽根が深く水中に入っているので、それが船体をかなり震動させている。もしあれが水にふれていなければ、もう1ノットか1ノット半位早く進めるだろうに。この船には随分多くの改善すべき点がある。帆はすべて帆桁に対して小さすぎるし、新しいポート、帆脚索等のための木釘、新しい砲郭等が必要だ。しかしある面ではこの船はとても優れた船である。頑丈でよい海洋船である。私はプロペラーの羽根が船の操舵をそれほど妨げないのに驚いている。気圧は少し下りつつある。アブストラクト・ログに記録してある。
萬次郎は江戸で砲艦として使うため、36ボンド砲を装備する小型スクーナーを造った。鹿児島でも、小型蒸気船が造られた。日本人は鉄より銅を扱うのが得意だ。萬次郎は艦長がこの船のボイラーを銅に取り代えたがっているという。
真夜中。海が荒れ出した。スタンスルとスパンカーをたたむ。正午より90マイル進んだ。
三月七日 〔二月十六日〕
あけ方に風が西微南に変り、又西に変った。左舷中額のスタンスルをはる。風は次第に北にまわってゆく。
正午 北緯41度56分
西経151度21分
午後7時、風は北西に変った。スタンスルをたたみ、午後10時にはトガンスルをたたむ。雲が流れ雨を伴った軽いスコールがくる。この24時間というものはよく走り、181マイル進んだ。今は真夜中に近い。極めて快調。今船は進むべき方向に、真直に進んでいる。風は北や西から強く吹いている。
三月八日 〔二月十七日〕
北西から疾風、スコールもしばしばくる。左舷前檣の中檣スタンスルの下桁が吹き飛ばされた。新しいのを出しそれに帆をつける。波は荒く海の色は浅い海の様な色をしている。
4時半、私がちょうど経度を算出し終った時、友五郎と他の連中が陸が見えるといいながら、非常に興奮して私の部屋に飛び込んできた。私はデッキに駆け上った。すると檣頭から下りてきた私の部下のフランク・コールが、自分も低い陸と白波を見たといい、右舷船首に3ポイントにわたっており、それから風上(左舷)船首にも見えるといった。そこで私は船を下手廻しにし、スタンスルを下し帆をすべて正常に直した。危険を知って日本人達はデッキに上ってきた。私は風にのって南微西に針路をとり、それから檣にのぼった。ジョー・スミスは風下の方角に低い陸地と砕ける波が見えるといい続けたが、私は双眼鏡を使っても水平線のあたりがやや白く見えるだけで、陸を見付ける事ができなかった。何羽かの鳥は見えたが、通り過ぎる雪のスコールのため、何もはっきり見えなかった。
私は船を2マイル半だけ南微西に進め、そこで再び下手廻しにし、もとの東微北のコースに向けた。これでもし礁脈でもあれば、船がその傍を通るはずだ。その方角の空は幾分晴れてきたが、波の砕けるのや陸地らしいものは何も見えなかった。皆も。もし陸地があるなら、はっきり見えた筈だという事を認めた。今は午後9時ごろであるが、風は北又は東に変り、船は方向を東徴南にとる。しかし風は東に変り、再び強まるだろうと思われる。先刻、陸が見えたという報告を受けた時、私はジョン・ロジャースが探していた島ではないかと思った。われらの発見という希望を持ったが、多分雪スコールだったのだろう。雲は濃い積雲で、低く垂れこめている。
三月九日 〔二月十八日〕
真夜中に非常に嵐めいた天候になった。左舷の真横と右舷の船首に真黒なスコールがみえた。トガンルとメーンスルをたたむ。今夕、風は北西ないし西の変りやすい風で、雪やあられを伴うスコールがくる。トガンスルとメーンスルを又拡げる。11時、メーンスルの風上側の帆耳を引上げる。東微北に針路をとる。
三月十日 〔二月十九日〕
夜のうち風が弱まり、変りやすくなった。北西から強いうねりが来る。正午、東微北から吹く風は次第に船の行く手をさえぎり西向きにする。
正午、私の天測によれば、北緯40度19分、西経141度53分である。北西の水平線上一度の高さにある1カ所の晴れ間を除いて、非常に重い険悪な雲が垂れている。船は北西に向けられる。船を下手廻しにして次第に南方、東方に向きをかえる。気圧は740.7。非常に荒模様の空である。トプスルを二段縮帆し、フォアスルも縮帆し、メーンスルをたたみ、ジブをおろし、前檣の中檣ステースルと大檣トライスルをはる。船は次第に方向を正し、午後7時、東微南に向う。小さい低気圧らしい。もしそうなら、その南側を東方に向って走ってやろう。今夕、フォアスルを縮帆しようとした時、私は特に萬次郎に最初にメーンスルを引くようたのんだ。彼は士官達にそのようにいったが、驚いた事には私が第一に見たのはフォアスルが引かれた事だった。咸臨丸は風上に向って突然方角を変えるくせがある。船がまわりかけた時、私はあやういところで舵手に注意することが出来た。メーンスルの帆綱をゆるめ、舵を強くとった。そこで日本人達が帆を引き上げた。今雨が少し降っている。スコールを除けば、今日の大気は大変澄んでいた。北西の水平線に積雲の頂きが見えた。風は強くならず、雲も今までより薄い。この季節には嵐に出くわす事がよくあると私は思う。それに備えねばならない。今だいたい午前2時、大強風。前檣トプスルを第一当直の時にたたむ。左舷船尾に風を受けて走る。大檣のトプスルを縮帆してトプスルと大帆桁をまわす。
フォアスルをたたもう、そしてこの強風が衰えるか風向きがよくなるまで船を止めよう。雨。萬次郎が出てきた。寒さを防ぐためさつまいものおかゆを食べている。スメドポルグが登檣している。
三月十一日 〔二月二十日〕
夜のうち、風が非常に強く吹いたが、午前4時、北西に変った。6時にすべての帆をあげ思いきり風をはらませた。波が荒い。日中風が弱まった。夕刻黒雲が出、変りやすい風が吹く。気圧はゆっくり上昇している。東微北に針路をとる。真夜中、トブスルで走る。天候定まらず。昨夜のは本当のサイクローンであった。
三月十二日〔二月二十一日〕。
昨夜はほとんど風がなかったが、朝方強まる。午前4時ごろ風向きが定るとすぐ帆をあげた。午前、中風は大体西風で、それから南西微西の風に変った。丁度日没直前、激しいスコールが来たので、帆脚索を引き、上舵にとり、大檣トガンスルをおろし、前檣の中檣スタンスルをたたんだ。運よく我々は他の中檣スタンスルと前檣トガンスルを少し以前にたたんでいた。今まさに沈まんとする太陽の光を通して、スコールを見たのは、忘れられぬ景観であった。午後8時には雲一つない空であった。真夜中、天空は全く雲におおわれ、風は強まり、殆んど嵐になった。気圧は高い。しかしメーンスルをたたみ、トプスルを二段縮帆し、前檣トプスルをたたむ。これで強い追風に対してちょうどよい帆になった。この小雨が海を鎮めてくれる事を願っている。この船で帆の操作をするのは困難な事だ。滑車が綱に対して小さすぎ、又潤滑油が全く不足している。トブスルの帆桁受けには輪型ローラーがつけてある。
萬次郎は縮帆している間デッキにいた。登檣していたコールとスメドボルグとの間に、何か強い語調のやりとりがあった。舵を取っていた年上のジョー・スミスが霧の中から昇ってくる月を見て舷側に寄って来る船の明りだと思った。彼があまり大声で叫んだので、私はほんの一寸船室に入っていたのだが、そこまで彼の声が聞えてきた。私はデッキに急いだ。その船らしきものを見すえる余裕もない。光りは霧の中からギラギラとにらんでいるようだ。上舵をとり、提灯を示す準備をした。私は日本人士官の一人が、ハッチを上ってくるのを掴えて、その着物をもう少しで破るところだった。私は彼に提灯をとって来て欲しいといいたかったのだ。私がまさにラッパをとろうとした瞬間、それが月である事に気が付いた。
トーマス・エーピー・ガテスビー・ジョーンズ提督は、かつてフリゲート6に乗っていて、木星を見て乗組員を戦闘部署につかせた事があった。真夜中までに75マイル進んだ。あまりスコールが多いので、帆を多くあげていることが出来ない。私はお茶を一杯飲んだ。これから寝よう。日本のお茶はすばらしい(最高級だ)。輸出のために作ったものでないから。
三月十三日【二月二十二日】
明方風が和わらいだが、南西微西から絶え間なく吹く。トガンスルと前檣の中檣スタンスルをはる。ジブの下桁は先夜の嵐でひどく裂けたので、ジブをあげる事ができない。下桁はもう駄目だ。この船の船首の操帆装置は全くお粗末だ。
私の天測によれば、正午に緯度は北緯39度28分である。我々は昨夜リードの岩の約120マイル真北を通過した。水は普通以上に暖かい。正午に54度であった。それによって思うに、南西からの潮流があるらしい。
ゴニーが幾つか飛んでいる。舵柄の鎖があまりにすり減っているので、今日私は舵の鎖に索具をつけて、舵柄の鎖が切れた時の用意をした。すばらしい風が吹いている。積雲が飛んでゆく。ジブをつけられないのが残念だ。正午のログ、158・1/4マイル。海は少し荒れている。
萬次郎がいうには、彼がかつて指揮していたスクーナーは1854年、戸田においてロシア人が造つたものだそうだ。その船は「一番船」と呼ばれている。咸臨丸は7万オランダポンドの石炭を積み=――トンに換算すると32.77トン――1日に12,000ボンド焚く。午後11時30分、南から疾風。大檣トガンスルをあげる。どんよりした雲の多い空模様である。この風が続くとよい。日本人士官は真夜中に食事する。火鉢や座ブトン等をもち出し、我々のようにテーブルに向わず、デッキでテーブルのわきに坐り込み、お茶や他の暖い飲物を飲み、大根、米、魚、菓子等いろいろな物を食べる。船は約8ノットで進んでいる。灯はよく燃えている。
三月十四日 〔二月二十三日〕
日中、南および南々東から軽風が吹く。穏やかな海。正午、私の天測によれば、フアラロン諸島より375マイルの地点にいた。
三月十五日 〔二月二十四日〕
南方より和風が吹く。正午、南フアラロンより245マイル。アレナ岬より190マイル。風は船を北東微北に向ける。うっとうしい雨模様。朝と正午の天測に、太陽を観測するのは困難だった。北西から相当のうねりが来る。私は温度の変化に伴って起るクロノメーターの誤差の図表の構造を萬次郎に説明した。彼にコピーを与える。萬次郎は、将軍が江戸のアメリカ公使を通じて私に贈物をするだろうという。私はそんな事を期待して来たのではないと答えた。長官も他の士官達も、もう直ぐ到着するという見通しに、大変元気づいている。ポーハタン号は8日か9日前に着いているだろう。フローラ号が多分我々の事を報告しただろう。我々は明りをあかるくともし続けている。このどんよりした霧の深い天気では、油断のない警戒が必要だ。
三月十六日 〔二月二十五日〕
夜のうちに針路をそらされ、午前6時ごろには北々西に向っていた。上手廻しに針路を変える。風は次第に北に変っていく。午前8時、東微南に針路をとる。一日中素晴しい風。午前と午後に天測をし、12時20分過ぎに緯度をはかる。一ぱい開きの帆で西の方へ向っている二殷の船とすれ違う。多分オレゴン行きの材木運搬船であろう。雲のような濃霧。午前中に雨。明日着くという予想に日本人達は大変陽気になっている。中檣スタンスルをつける。日没直前、風が非常に強まった。トガンスルをたたみ、煙突を立てるためメーンスルを取りはずし、トプスルを二段縮帆し、プロペラーを下し連結した。午後6時、北ファラロンより125マイルの地点にいた。萬次郎が。私の部下の名前と階級を調べに来た。彼に教えてやる。彼は帰国するj咸臨丸のために、8人の乗組員を雇いたいという。コールとスメドボルグは行くという。艦長は何事かを心配しているように見える。

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